こんにちは、ぷんたろうです。今回の記事は、ウズベキスタンの世界遺産の街サマルカンドに到着した翌日、当初予定に入れていなかった別の世界遺産の街でティムールの生まれた地でもあるシャフリサーブスに急遽行くことになった時のお話です。早速いってみましょー!
(※2020年2月ごろのお話です)
サマルカンドのレギスタン広場でガイドさんに捕まる
なぜ、急遽シャフリサーブスに行くことになったのかというと、レギスタン広場というサマルカンドで最も有名な場所に入るためのチケットを購入しようとしてチケットブースに行ったら、チケットブースの中のおばちゃんに「ヤポン?ジャパン?にぽーん?OK、OK、Come in!Come in!」的な感じで、なぜかブースの中に招き入れられ、温かいお茶を出され、3、4人のおばちゃんたちに取り囲まれ、白タクガイドさんを紹介されてしまったからなのです。
この日、僕はレギスタン広場からスタートして、サマルカンドを堪能しようと思っていたのですが、思わぬところで捕まってしまったのです。しかも超序盤(笑)
まあでも、予定では行くつもりのなかったところだし、自力で行くにはハードルが高そうだったし、ウズベキスタンでの訪問地が増えるならいいなぁと思い、そのまま捕まってみました。3パターンくらいのプランを提示してくれて、その中から80米ドルでシャフリサーブスに行き、帰りにガイドのおっさんの実家で夕食を頂くというプランに乗っかってみました。思わぬ出費…まあ旅行だ、よしとしようじゃないか。
ガイドのおっさん、どこかで見たことあるんだよなーと思っていたんですけど、そう、箱に入って国外逃亡したあのおっさん、カルロスゴーンに似ていたんですよ。そんなカルロスゴーン似のおっさんのシボレーで、いざ、シャフリサーブスに向けて出発です。もう一度言います。シボレーです。日産ではない。カルロスゴーン似なのに。別に関係ないか(笑)。(これ以降おっさんのことはカルロスと書きますね。)
寄り道①ウルグットバザール
ウルグットバザールは『地球の歩き方』のサマルカンドの紹介ページに掲載されているバザールです。サマルカンドの中心地から、30〜40分くらいだったと思います。地元のバスだともっと時間がかかりそうかな。場所はここです。マップを少し左上にずらすとサマルカンドが見えてくると思います。直線距離で20キロちょいありそうな距離感です。
特に何かを買いたいと思っていたわけではないのですが、カルロスが気を利かせて寄ってくれました。ところがなんだがとても寂しげな雰囲気。もっとたくさんの人が押し寄せてワイワイガヤガヤしているのかなと思いきや、人の姿はほとんどなく、お店も数軒開いている程度。聞けば、この頃すでに中国で流行し始めていた新型コロナウイルスの影響で中国からの物流がストップしてしまい、商品が入ってこないからお店もあまりやっていないのだ、とのこと。そうか、だから地元で生産されるスザニのお店しかやっていなかったのかと、あとで気付きました。
というわけで、ウルグットバザールはさらっと見て後にしました。
寄り道②峠の頂上の露天商
ウルグットバザールを後にして、Google MapでいうところのM39という峠道を南に向けて1時間ほど走って、カルロスが車を止めてくれました。ここはサマルカンドとカシュカダリアという地域の境の地で、「ここから先、サマルカンドだよー!」みたいなオブジェ?モニュメント?の前で露天商が営業していました。マップ上でピンを立てられなかったうえに、Google Mapはスクショを貼るのも禁じられているので、具体的な場所を示すことができないのですが…頑張って示そう。下のマップ上に立てたピンの北側、大きくUの字にカーブした道をさらに少し北上したところ、道沿いに赤い細長い屋根の建物があると思います。その横に並ぶ円弧状?の線に見えるのが、「ここから先、サマルカンドだよー!」みたいなヤツです。わかるかな?
マップ上でお分かりいただけました?ちなみにそこにあるのが下の写真のようなヤツです。
カルロスが露天商の青年に「これ食っていい?」みたいに聞いていて、青年も「あぁ、いいよいいよ」的な感じで返事をして、ヤギのお乳から作られたというチーズを1個くれました。写真に写っている丸っこい白いやつです。ちと酸味があったけど、濃厚なチーズでした。あぁこれ絶対腹壊すやつだ…と思いながらももらったからには食わないといけないと思い食べました。意外と平気でした。なんだろう、僕ですね、日本だとちょいちょい腹下すんですが、海外ではそういう経験ないんですよね。もちろんナマモノをなるべく食べないようにとか、気をつけている部分もあるんですけどね。不思議ー!
寄り道③昼食で峠の途中のレストランに
峠の頂上の露天商から少し先へ下ってきたところに「シャルシャラ・タンディル=ケバブ」というレストランがあって、ここへ寄りました。カルロスの行きつけなのかな。マップ貼られたところで「いやいや、どこだよ」って、みなさん突っ込むもんだと思いますが一応貼っておきますね、行く人がいるかもしれないので。
何を食べたのかあまり覚えていないのですが、出された玉ねぎがすんごく辛かったことだけ覚えています(笑)。確かチキンのシャシリクとそれに付いてくる玉ねぎ、ナンを食べたんだと思います。あと日差しがカンカン照りで、ビニールハウスの中が超暑かったんですよ(笑)。
シャフリサーブスに到着、そして散策
昼食のあと、また1時間程度走ってシャフリサーブスに到着しました。街は結構栄えていてきれいでした。ザクロの産地なのか、街の入り口に大きなザクロのオブジェがありました(街中なのに車が速すぎて写真に撮る暇なかった)。
シャフリサーブスの見所は綺麗に整備された公園のような遊歩道のような場所に固まっているので、散策自体は1時間くらいで済んでしまいます。(下のマップの中央に南北に伸びる公園のように整備された場所です)
アク・サライ宮殿跡
アク・サライとは「白い宮殿」という意味で、1380年に着工、1405年竣工の、ティムールが残した最も壮大な建造物と言われていますが、16世紀後半にブハラのアブドゥーラ・ハーンに破壊され、現在は宮殿入り口のアーチ部分の残骸だけが残されています。「白い宮殿」を意味するアク・サライですが、実際は青と金色のタイルで装飾されていたそうです。確かに、タイルの装飾が残されていました。
現在残されているアーチの高さはおよそ38メートルほどだそうですが、壊れる前は50メートル以上の高さがあったそうです。あとで『地球の歩き方』を見直したら、どうやら中に入ることもできたようですが、僕はスルーしてしまいました。
ちなみに下の写真の奥に見える壁は、その一部が復元された、かつての城壁です。この城壁が宮殿をぐるっと囲んでいたそうですよ。
ティムール像
アク・サライ宮殿跡のアーチからすこし公園の中へ進むと、大きなティムールの像が佇んでいます。やはり地元の人々にとっては偉大で誇りのような存在なのでしょう、多くの人がティムール像を背景に写真を撮っていました。ちなみに、アク・サライ宮殿の本殿はこのティムールの像のあたりに建てられていたそうですよ。
ドルッティロヴァット建築群
”瞑想の家”とよばれるティムールゆかりの建築群です。中庭の右側には、ウルグベクによって1435年から1437年に建てられたコク・グンバス・モスクが建っています。入場料は7,000スム。
コク・グンバス・モスクの向かいにはふたつの廟があります。ふたつの廟は、コク・グンバス・モスクを背にして立ち、左にあるのがシャイフ・シャムスッディン・クラル廟、右がグンバズィ・サイーダン廟です。
シャイフ・シャムスッディン・クラル廟にはティムールの父とその指導者シャムスッディン・クラルが葬られ、グンバズィ・サイーダン廟にはウルグベクが自分の子孫のために建てた廟だそうです。
ドルッサオダット建築群
ここはドルッティロヴァット建築群の向かいにあって、ハズラティ・イマーム・モスクとジャハンギール廟、ほかにもいくつかの廟の跡からなります。『地球の歩き方』では入場料は3,000スム、撮影料3,000スムと紹介されていましたが、僕は5,000スム支払いました。(勝手に撮影しちゃったけど、これ、撮影料込みの値段だったのかしら?わからん。)
ジャハンギール廟は、ティムールが、22歳の若さで戦死した長男のために建てた廟で、中には真っ白な石棺があります。ティムールが自分のために用意した石棺もありますが、ティムールはここには葬られておらず、サマルカンドに眠っています。
シャフリサーブスを後にしてカルロスの実家へ
さて、シャフリサーブスの見所は一通り、ザッとではありましたが見ることができたので、カルロスの車で、来た道を戻ります。ウズベキスタンに到着した日に乗ったタクシーの運転手もそうだったんですけど、シートベルトをしようとすると、しなくていいと言うんですよ。ここは日本じゃないからしなくていいんだと。いや、まぁそうなんだろうけど…怖えんだよぉぉ、どんな市街地の道でもどんな峠道でも100キロくらい出すから!(笑)
ちなみに、復路では、二人きりの車内でカルロスとの会話にも少し余裕が出てきたので、走りながら写真撮ったりもできました。どんな道を走るかというと、こんな道です。
日本の軽トラも走ってるじゃん!と思ったんですが、よく見たらシボレーの軽トラでした。気になってあとで調べたんですけど、日本のメーカーのをシボレーが作っているような感じだったような気がする…確かシボレーと資本関係にあったスズキのを…まあいいか。
はじめて通る道の往路は長く感じるけど、復路って短く感じますよね。あっという間に往路で寄り道した「ここから先、サマルカンドだよー!」のところを通り過ぎて、カルロスの実家のある集落に近づいてきました。
カルロスが車を止めたので、お?着いたか?と思ったのですが、乗って待ってろと。待っていると羊に取り囲まれてちょっとびびりました。10分くらいして戻ってきたカルロスは袋に入った羊肉とナンを手に提げてきました。夕飯の材料調達だったようです。
で、いよいよカルロスの実家に到着。カルロスのお兄さんの子供がお家にいて、庭を案内してくれました。
そしてその後カルロスが、炊事場で夕ご飯の準備をしてくれているカルロス母のところに僕を連れて行ってくれて、僕を紹介してくれました。カルロスが「In this village, no water, no gas, and the Internet!!!!!HAHAHA!!!!!!」なんて自虐ネタをかますもんだからカルロス母苦笑い、僕苦笑いでした(笑)。でも確かに、水は庭先の川から汲んでこないといけないし、ガスはないから薪で火を起こしてるし、電気は来てるけどちょいちょい停電するし、でもみんなスマホだけは持ってるんですよね。スマホ、スゲー。そしてウズベキスタンにも自虐ネタ文化があるんだなーと。
夕飯ができるまでの間、カルロスの実家で飼育されているロバに乗せてもらいました。初、乗ロバ。一緒に写る青年は、カルロスの実家の家畜の世話をしてくれているお手伝いさんみたいな人でした。一瞬「え?この人、日本人か?」と思ってしまうような顔立ちの、きれいなお嫁さんも一緒にやっているようでしたよ。
で、夕食タイムを迎えました。その頃には学校の先生だというカルロス兄も仕事から帰宅されていました。夕飯は、ウズベキスタンでのお客さん来訪時の定番料理、山盛りのプロフでした。現地式のいただきますを教えてもらいながら一緒にやっていただきましたよ。ウズベク料理、結構日本人のお口に合うんですよね。僕も好きな味でした(ちと油がキツかったけど)。最初はスプーンで食べていたけど、途中でカルロス兄が、現地人流の手での食べ方を教えてくれました。手、油塗れになるんですけどね(笑)。
そうそう、部屋に掘りごたつがあって、僕が「おっ?」って顔をしたのを見てたのか、カルロスが「コダツ?コダス?」とか一生懸命に微かに覚えている日本語を話そうとしていました。僕もそれを聞いて「あ!コタツ!」って理解して、みんなでコタツで盛り上がりました。なんでも、僕が来た前日に、カルロスがやはり同じようにサマルカンドで捕まえた日本人の女の子を、やはり同じように実家に連れ込んで(言い方よ)、やはり夕飯を御馳走していたようで、そこでその女の子もこのコタツに感激して、コタツコタツ言っていたらしく、それでコタツという言葉を覚えたんだそう。
夕食を頂いたあとは、お礼もかねて、カルロス兄息子に折り紙で鶴を折ってあげ、ご家族の写真も撮ってあげました。カルロス兄息子は初めて見る折り紙に大興奮で、ノートを千切って紙を作っては僕に「もう一匹折って〜」とせがむのでした。鶴以外も折ってあげられればよかったんだけど、鶴しか折れないんだ、ごめんよ少年。結局5匹くらい折ってあげました(すげー嬉しそうにブラウン管テレビの上に並べてた)。ご家族の写真も、スマホdeチェキで印刷して、みんなにあげてきました。プライバシーもあるので写真は載せられませんけど、いい写真が撮れました。
まとめます
以上、カルロスに捕まってシャフリサーブスに行った時の様子を紹介してきました。今までの僕だったら多分こういう急な誘いは断っていたと思うんですけど、旅先でしかできないこと、そこでしか会えない人との一期一会だと思うと、こういう急な予定変更もありだなと、最近は思えるようになりましたね。実際シャフリサーブスに行けて、僕の世界遺産写真コレクションが増えたのでよかったし、カルロスとはFacebookでお友達にもなったりして、連絡こそ取り合わないものの、たまにアップされる写真とかで彼らの様子を知ることもできるし。ヨカッター。
ってところで今回の記事は締めます。シャフリサーブスとカルロスのご実家に招待されたいという人は、サマルカンドのレギスタン広場入場チケットブース付近をウロウロしているとカルロスに捕まえてもらえるかもしれません!お試しあれ!